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佐賀地方裁判所 昭和31年(ワ)653号 判決

原告 小野十郎

被告 国

訴訟代理人 川本権祐 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は「被告は原告に対し金七十万円を支払え、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、原告は昭和三十一年二月八日午後五時頃佐賀県杵島郡江北町大字山口字新宿地先国道上に於て訴外八重木幾男が経営する製材所の作業に従事していた際同国道上を東から西に向つて進行して来た建設省佐賀国道工事事務所の使用人自動車運転者訴外早木岩雄の運転する建設省所属の大型トラックに突倒され、助骨並右足骨骨折全身強打の傷害を蒙り、爾来六箇月の長期に亘り武雄市宮之町副島整骨院に入院加療したが、退院後も右足骨折による歩行不能等身体各部の障碍が治癒しないため将来旧の身体に復することが出来るかどうか危まれる状態で目下全く労働力を喪失している。

しかして原告がこのような傷害を蒙るに至つたのは一に自動車運転者訴外早木岩雄の過失により惹起された事故に因るものであるところ、右早木は当時建設省佐賀国道工事事務所の使用人として同事務所の事業に従事しているものであるから、訴外早木は結局被告の事業の執行につき本件加害行為を惹起したものと謂うべく、被告は原告に対し本件事故に因り原告の蒙るに至つた凡ての損害を賠償する義務がある原告は生来身体頑健であるが資産はなく、自己の労働力のみにより毎月金三万円相当の収益を得て自己並妻静枝(四十八才)母ハツ(七十八才)の生計を維持していたのであるところ、本件事故により少く共今後三年間は労働に従事することが出来ないので、其の間に得べかりし収益合計金百八万円を喪失することになる。

次に原告は本件事故による入院につき治療費並入院諸雑費合計金二十万円を支出した外、退院後も自宅療養を継続しているが、之等の支出はいずれも本件事故を原因として原告の蒙るに至つた直接の損害と謂うべきである。

原告は本件事故に因り身体に重大な傷害を受けたものであるので之によつて蒙つた肉体上の苦痛が真に堪え難いものであつたことは謂う迄もないが、更に原告は原告等一家の生活を維持する責任者であるのににわかに労働力を喪失するに至り、一家の者が今後如何にして生活を維持すればよいかを考えると全く絶望の外なく、原告が本件事故により受けた肉体上精神上の苦痛は誠に甚大なものがあるので、被告は原告が蒙つた右の苦痛を慰藉する義務を負うのは当然のことで、右慰藉料の額は金五十万円を以つて相当とする。

以上により、被告は原告に対し合計金百七十八万円以上を支払うべき義務を負うものであるので、今その内金七十万円の支払を求めるため本訴請求に及んだと陳述し本件自動車に構造上の欠陥機能の障害が無いことは認めると延べ、立証〈省略〉

被告指定代理人等は主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因たる事実のうち、原告がその主張の日時場所において佐賀国道工事事務所の運転者早木岩雄の運転するトラックに接触骨折し同時以後副島整骨病院に入院加療したこと右運転者早木岩雄が建設省佐賀工事事務所の被用者であることは各認めるが、被告が右事故に伴う傷害により労働力を喪失するに至つたか否か及び被告の生活状態の主張は不知、被告の入院期間が六箇月であつた旨及び右入院による治療費等として金二十万円以上を支出した旨の各主張は否認、原告が自動車事故に伴う傷害に因り三年間労働に従事することが出来ない旨、そのため合計金百八万円の得べかりし収益を喪失した旨、右事故が訴外早木岩雄の過失により惹起された旨及び被告が原告に対し損害賠償義務を負う旨の各主張は之を否認する。本件自動車運転者訴外早木岩雄は当日建設省九州地方建設局所属左一-三八一四号トラックを運転、佐賀県杵島郡江北町大字山口字新宿地内の佐賀武雄間第三十四号線国道上を、当時同所は建設省が道路舗装工事を施行中であつたので時速約十五粁程度に減速して佐賀方面より武雄方面に向い進行中、自動車の進行方向に向つて道路の右側進路から四、五米離れた同国道上の荷馬車が一台止つていて、数人の者が荷馬車から木材の荷卸作業を行つているのを認めたが、何等事故の発生が予測されるような状況のないことを確認したので、そのまま該地点を通過し終らんとし、該荷馬車が視界から去つた瞬間バックミラーに人影を認め直ちに急停車の措置を講じたが此の時原告は右側後車輪に触れて道路側に転倒していたのであつて、原告は荷馬車からくずれ落ちた木材にはねられて該トラックに接触したもので、トラックと荷馬車との関係位置及び距離、トラックの進路速力構造、接触時の状況等に徴し本件事故は全く不可抗力によるものであるから本件自動車運転者には責むべき何等の過失も存しない。なお被告はすでに昭和三十一年三月三十一日金七万円を原告に支払いこれをもつて本件に関する一切を解決する旨の示談が当事者間に成立していると陳述し、本件自動車には構造上の欠陥機能の障害は無いと附陳し、立証〈省略〉

理由

原告主張の請求原因たる事実のうち原告が昭和三十一年二月八日午後五時頃佐賀県杵島郡江北町大字山口字新宿地内の国道上に於て、建設省佐賀国道工事事務所使用人自動車運転者訴外早木岩雄の運転する建設省所属の大型トラックと接触転倒し肋骨並右足骨骨折の傷害を蒙り武雄市宮之町副島整骨院に入院加療した事実は当事者間に争いがない。原告がこのような傷害を蒙つたのは自動車運転者訴外早木岩雄の過失により惹起された事故に因るものであり、右早木は当時建設省佐賀工事事務所の使用人として同事務所の事業に従事していたものであるから、訴外早木は結局被告の事業の執行につき本件加害行為を惹起したものであると主張するので、先ず右事故が自動車運転者訴外早木岩雄の過失により惹起されたものであるか否かについて調べて見なければならない。証人谷口豊次同早木岩雄同吉岡重利同八重木幾男の各証言、原告本人尋問並検証の各結果を綜合すると、本件事故発生当日原告は訴外八重木幾男が経営する製材所の手伝いをして、事故現場である佐賀県杵島郡江北町大字山口字新宿地内を東西に通ずる国道の北側にある材木置場に運ばれた材木を馬車に満載して材木置場に運んで来たので荷おろしを手伝うべく材木置場に向つて歩いて行き馬車の止つている位置から七米二十糎西側に差かかつた時約百米前方の国道上を東から西に向つて進行して来る訴外早木岩雄の運転するトラックを目撃した。当時現場附近は建設省の道路舗装工事施工中で道路の北側幅員三、七五米は既に舗装されて居り、南側幅員四、二五米は未だ舗装してなく、馬車は道路の舗装された部分の北側にある材木置場の位置に片側車輪を材木置場に乗入れて置かれてあり、トラックは南側の非舗装道路を進行して居たので馬車と道路の中央舗装された部分の端迄の距離は約三米、馬車から自動車の進路である非舗装道路の中心迄の間は約五米の距離が在つた。ところで訴外早木岩雄はトラックを運転して進行中本件事故現場附近の舗装工事施行区域に進入し道路中央から南側の非舗装道路上を運転進行することになつたが道が悪いので車の速度を落して進行するうち八重木製材所の材木置場に材木を積んだ馬車が一台止つていて、馬車の廻りに三、四人の人が居ることを前方(馬車の東側)約六十米の地点に差掛つた頃認めたが、馬車はトラックの進路から数米離れた位置にあつて別段事故の発生が予想されるような状況は認められなかつたので、そのまま進んで馬車の十五米位手前から馬車の直前に至るまでの間に一人の男が材木をおろそうとして綱を解きかけ、他の男が材木の落下を防止する姿勢で材木を支えているのを認めた。訴外早木の見た馬車から材木をおろそうとして綱を解いていた者は訴外谷口豊次、材木の落下を支えていた者は訴外大串某であつて、馬車には長さ二間の材木が四段に積重ねてあつたので、訴外谷口は先ず馬車の後車輪側で最上段の材木を結んであつた綱を解いたところ、訴外大串による支えが案外弱かつたため最上段に積んであつた材木のうち、据口二、三寸長さ二間の丸太三、四本がいきなり道路上に崩れ落ちたもので、原告は之れより先き訴外早木岩雄の運転するトラックが接近するのを目撃して、このことを訴外谷口等に知らせ荷おろしを一時中止せしめるべく、「トラックが通るまで待て」と叫び乍ら舗装道路上を馬車の後部附近まで駈け寄つたが、其の時不意に馬車から材木が崩れ落ちて来たので、とつさにそれを避けて道路中央の方向に後退し道路の舗装部分と非舗装部分との境を超えて一歩非舗装道路に足を踏み入れた瞬間、訴外早木岩雄の運転するトラック車体の一部に接触した。訴外早木はトラックが馬車の直前に差掛つた時原告がトラックの進行方向に向つて後向きに飛出して来るのを認めたので直ちに急停車の措置を講じ、約二米スリップしてトラックを停車させたが及ばず、車体の一部に接触した原告はそのはずみで身体を一廻転して其の場に顛倒し、因つて前示の傷害を蒙るに至つた各事実が認められ、原告がトラックを目撃した時から材木が崩れ落ちる迄に経過した時間は約十五秒位と推定されるので之を基礎として計算すると当時トラックの進行速度は時速二十五粁位であつたと推測される。証人早木岩雄同吉岡重利の各証言、証人谷口豊次の検、証現場における指示説明中以上の認定と矛盾する部分はいずれも措信し難い。

按ずるに、右認定の事実による荷馬車から自動車の進路にあたる非舗装道路の中心迄の間は約五米の距離があつたのであるから、訴外早木が自動車の進路から五米離れた所で原告等が馬車から材木をおろしているのを認めながら殊更ら事故の発生を予測しなかつたとしても何等自動車運転者としての注意を怠つたものと解し難い。そうだとすればその際自動車の速度が時速二十粁であつたか二十五粁であつたかは特別問題とする意味がないので之亦過失の有無を判断する資料と為すに足らない。

殊に原告が自動車に接触したときの状況は、原告には甚だ気の毒に堪えないが、原告は進行中の自動車に向つていきなり横合から後向きに飛びかかつて行つたものに外ならないので、かかる場合に迄事故を避ける為めの注意義務を要求することは不可能を強いるものであつて、自動車運転者に求められる注意義務の程度をはるかに超えるものと謂わねばならない。すなわち、本件事故の発生は全く不可抗力によるものと謂うべく、自動車運転者訴外早木岩雄には何等過失の責むべきものが認められない。

原告は訴外早木岩雄が使用者である被告の事業の執行につき原告に傷害を蒙らしめたとして、被告に対し損害の賠償慰藉料の支払いを求めているのであるが、使用者の行為による使用者の責任は、被用者が故意又は過失に因る違法な行為によつて第三者に損害を加えた場合に他の要件の存在と相俟つて始めて発生するもので、被用者に故意過失の責むべきものがない限り、仮令どの様に被害が大であろうとも使用者に対し権利として之が賠償を要求する理由は存在しないと解される。そうすると訴外早木岩雄に過失があることを前提として被告に対し損害金慰藉料の支払を求める主張は、訴外早木に過失のないことが判明した以上、爾余の点について判断する迄もなく理由のないことが明かである。

よつて原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中武一)

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